はじまってゆく その夢に

すこしずつ チカヅキタイ

担当という言葉がわたしにとってハードルが高いはなし。





わたしが長くじゃにおたやってる中で、何度も何度もぶつかっているのが、“担当”という言葉の壁だ。



わたしにとってこの“担当”という言葉は、とてつもなくハードルが高く、簡単に口にすることができない言葉だったりする。




実際、じゃにおたにとって担当という言葉はとても便利な言葉だと思う。


わたしは◯◯くんのファンです。

という一文を、

担 もしくは 担当  のたった1.2文字で表せるのだから。


わたしももちろん、一切この言葉を使わないわけではない。


“一応風間担を名乗ってますねぇ”

と、その場をやり過ごすのに、とても便利に使わせてもらっている。







だけどここ数ヶ月、初めてお会いする方などに、

“確か風間担でしたよね?”

“かるぴすさんって結局風間担なんですか?”


などの確認をされることが多かったので、ここで改めて、


なぜ“担当”という言葉が自分にとってハードルが高いのか


について考えてみた。



これはあくまでもわたしの、わたしによる、わたしに関しての見解であって、よくある“担当とはなんぞや”を語るものではないので、そこんとこあしからず。








まず。

ここ数日考えてみてたどり着いた結論なのだけど、

多分わたしの中に、


担当=その対象を応援している


という概念があるのだということにたどり着いた。




わたしが誰よりも長く、そしていちばんすきなのが風間俊介さんだ。


初めてその人を目的に舞台やコンサートに足を運んだのも風間さんだし、

すきな芸能人を問われたら、すきなタイプを芸能人で、と問われたら、

迷わず風間さんを挙げる。





いちばんはいつだって風間さんだったし、これからもそうだと思う。



風間さんのおかげで舞台観劇の趣味もできたし、わたしの人生に多大な影響を及ぼしてるのは間違いない。





でも。

これだけ長い間ファンを続けてきて、やっと今わかったことがある。



わたしは風間さんを“応援”してるわけではないのだと。




わたしはむしろ、

風間さんに“応援してもらっている”側だ。


あの人のおかげで人生がとても楽しいし、風間さんの姿やお芝居を観て、次の日少しだけがんばれる。


そんな存在だ。






そんな風間さんが尊すぎて、

担当という言葉を使うのがあまりに恐れ多く、申し訳ない気持ちになっているのだと。

そう思った。




もちろん、応援する、支える!みたいな意味合いで担当という言葉を使っている人ばかりではないと思うし、人によって意味合いは十人十色だということも承知の上だ。



だけど少なくともわたしには、

“担当”という言葉が適さなかったのだと思う。





いろいろ悩んではみたものの、それでもわたしは、この担当という言葉をたまに使いながら、これからもおたくをやっていくのだろうと思う。




この言葉の便利さに負けて。




“風間くんのファンです、応援してるというよりはむしろ人生応援してもらってると思ってるくらい尊いんです”

という意味合いを担当の2文字にこめて。